「毒」がなくてはつまらない  「蜜」がなくては諭しめない  「骨」がなくては意味がない

Opinion|2023/05/28|宮地英敏(九州大学 准教授)

【書評】
星子繁『クイーンシャーロット諸島の忘れられた山師たち』

『エネルギー史研究』38号(2023年3月刊:九州大学附属図書館付設記録資料館産業経済資料部門)より転載
https://doi.org/10.15017/6779668

   本書の著者である星子繁は、1980(昭和55)年に東京大学大学院農学系研究科の博士課程を修了したのち、明治製菓株式会社に入社して抗生物質の開発などに携わった人物である。放線菌の遺伝子操作に関する論文を第一執筆者として執筆し、スウェーデンにあるカロリンスカ研究所の客員研究員なども兼任した。その後、明治製菓株式会社の創薬研究所所長、薬品総合研究所所長、感染症研究所所長なども歴任して、2011(平成23)年に同社を定年退職している。

 退職後は、50代の頃から本格的にはじめていた趣味のヨットを満喫すべく、翌2012(平成24)年から2016(平成28)年にかけて、アラスカからカナダ、アメリカ西海岸、メキシコへと行き、そこから太平洋を渡ってフランス領ポリネシアの島々を経由して、オーストラリア、ニュージーランドまで向かった。さらにはクック諸島、サモア、トンガ、フィジー、バヌアツからミクロネシアの島々を経由して日本へ帰国している。その様子は、星子繁『太平洋遠洋航海記』 (リーダーズノート出版、2016)として刊行されている。

 その太平洋遠洋航海の初期に、著者はカナダ西海岸のクイーンシャーロット諸島で、アリチカ・ロックという小島とイケダ・ベイという入江があることを知った。帰国後、記憶に残っていたこの地名について調べたところ、池田有親という日本人にちなんだ地名であることを知り、本書を刊行することになったという。農学部出身で医薬品開発の専門家による著作であるが、資料実証的にも十二分な研究水準であり、また海外で活躍した鉱業家(しかも山師)という興味深い事例であるため、ここで紹介することにしたい。

 本書の目次は次のようになっている。
はじめに
1 クイーンシャーロット諸島
2池田有親:生い立ちから米国渡航まで
3アラスカ氷山旅行
4銅鉱山の山師たち・国境無き島
5イケダ湾の日々
6その後
あとがき
池田有親年譜

 はじめに及び第一章は著者が本書のテーマを選んだことについての説明であり、第二章から本論がはじまる。第二章では、1864(元治元)年に新発田藩(溝口家、10万石)の所領であった越後国蒲原郡真野村(現在の新潟県北蒲原郡聖籠町)に生まれた池田有親が、アメリカに渡航するまでの来歴を紹介している。真野村の85石の名主の家であった池田家では、明治期に父親の池田孝三が村長を務めている。明治に入ると新発田でも教育熱が高まり、池田有親も新潟学校新発田分校で曾我関堂から漢学を学んだり、佐藤一斎の弟子で絆己楼を主宰していた大野恥堂に朱子学や陽明学を学んだりしたという。その後、東京に出て中村正直の同人社に学んだと著者は推定している(後に池田有親がメソジスト信徒となっているため) 。

 その後、大野恥堂の次男である大野誠が長野県知事として新発田の人材を呼び寄せていた時期に、17、8歳になっていた池田有親は親戚より土地を譲り受けて長野県で開墾事業を行い、リンゴや栗、さらにはキャベツやレタスといった高原野菜の栽培にも挑戦している。また近くの池(後に拡張されて雲場池となる)で鯉の養殖も行なった。しかし1890(明治23)年に農業をあきらめ、土地を売り払ってアメリカへと渡っていく。ちなみに、池田が開発をして売り払った土地は、後に別荘地として人気を博す軽井沢であった。

 アメリカに向けた船舶の中で密航中の黒田四郎という少年を助けたりしつつ、カリフォルニアに到着してからは農場の小作人や料理人をしていたが、わずか3年にして自分で土地を取得して農業経営をはじめた。しかし、メソジスト教会でのかかわりや日本人会でのかかわりの中で、池田有親はメキシコにおける大規模農園経営やカナダ・アラスカにおける漁業など、さらに大きなビジネスへと関心を強めていったのである。

 第三章では、アラスカでのゴールドラッシュのはじまりをうけて、池田有親は農地の権利を売り払いアラスカへと探検に向かっていく。その様子が旅行記から詳細に復元されている。結論から述べるならば、池田有親らが向かった先は、ゴールドラッシュを利用して乗客獲得をしようと画策した汽船会社が流した嘘による虚偽の黄金発見地点であった。しかしそうとは露知らず、池田有親は4000人ほどの騙された探検家の一人として参加したのであった。氷山を命からがら往復したその道中のエピソードの面白さは、ここでは省略する。

 第四章は、無一文になってしまっていた池田有親が、日本の農務省からの嘱託でアラスカの資源調査を行うエピソードからはじまる。その調査の中で、サケやニシンなどの漁業と水産加工が有望であることを強く意識するようになり、起業して一年目から好成績を収めた。ところが、日本人排斥の機運が高まる中で漁船が放火され、借金を背負って帰国を余儀なくされてしまった。その帰路、先述の黒田四郎と運命的な再開をする。そして、黒田四郎が勤めていた大阪の粟谷商会からの出資を取り付けることになるのである。またこの帰国時に、新発田出身の肥田かおると結婚している。

 黒田四郎を連れて北米に戻った池田有親は、粟谷・池田商会としてカナダにサケ・ニシンなどの水産加工工場を設立した。仕入れも販売も順調であったが、次第に日本人排斥の流れの中で、日系の同業他社工場への放火であるとか、日本人への漁獲権の制限などが行われるようになっていった。それを受けて、池田有親は新しいビジネスを模索するようになっていた。

 そのような中である日、クイーンシャーロット諸島でアワビ漁を検討している際に、高名な採掘師と出会い銅採掘のノウハウをレクチャーされた。そして近くの入江へ辿り着くと、レクチャーされたままの銅鉱脈をたまたま発見したのであった。池田有親らが、採取した鉱石を持ち帰り州政府に分析を依頼すると、それらが良好な銅鉱石であると判明した。こうして鉱山採掘権を申請し、1906(明治三九)年から1921(大正10)年まで銅鉱山を稼業したのである。1908(明治41)年頃のデータによると、ドイツ系アメリカ人の技師兼現場監督が1人と、日本人鉱夫83人が働いていたという。この期間に、銅1万3、 40トン、銀574.055キログラム、金51.195キログラムが採掘された。

 第五章は、銅鉱山での採掘が一度目のピークを越えた1913三(大正2)年に同地を訪れた、有馬畏三という青年の手記から、池田有親の穏やかな日々を紹介している。池田有親が、日本人とも他国人ともフランクに付き合い、大自然を満喫しながら過ごしていた様子が描かれており、彼の人間的な魅力が読みとれる。

 第六章は、1939(昭和14)年に池田有親が亡くなった後、その妻のかおるや娘たちの体験について、かおるの日記に基づいて紹介している。戦時期から戦後にかけての日系人排斥や資産没収、そして強制収容も経験しており、第五章の穏やかな日々とのコントラストでその過酷な日々が綴られている。カナダ政府からの謝罪と補償は池田家の当事者たちの大半が亡くなった後の1988(昭和63)年のことであったという。

 さて、以上のように本書を簡単に紹介してきたが、やはり気になるのは本書のタイトルにも使われている「山師」についてである。 「山師」を辞書で調べてやると、 「一、鉱脈の発見・鑑定や鉱石の採掘事業を行う人。 」 「二、山林の買付けや伐採を請け負う人。 」 「三、投機的な事業で大もうけをねらう人。投機師。 」 「四、詐欺師。いかさま師。 」という四つの項目が書かれている(小学館『デジタル大辞泉』 ) 。池田有親の場合には、一つ目の採掘事業者であるとともに、三つ目の投機的な事業で大儲けを狙っている人物でもあったといえるであろう。

 この三つ目の投機的な事業家という場合、本書に触れるまでの評者は、もっと無学で博打好きな無鉄砲な者たちをイメージしていた。しかしながら池田有親は、学を修め、宗教的にも敬虔であり、他人への情にも熱く、何事にも熱心であった。ただ少しばかり好奇心が旺盛で、現状に満足せず、進取の気性に富んでいるバイタリティ溢れる性格を兼ね備えていただけである。その結果として、大真面目に波乱万丈の人生を歩むことになったのである。

「山師」には勿論、評者がもともとイメージしていたような存在もいるのであろうが、池田有親のような「山師」たちも存在していたという事実は、考えを改めさせられる。 「山師」の三つ目の意味にある「投機的」という部分に、評者が少々マイナスのイメージを持ちすぎていたことを反省させられるのである。

 また、筆者はセレンディピティ(serendipity、偶然の発見)の重要性を唱えているが、仮に池田有親に銅鉱山発見のセレンディピティが訪れていなかったとしても、彼の人生は「山師」として満ち足りたものであったであろう。仮に、最初の軽井沢の土地で農業をし続け、それを別荘地として売り払うことが生涯の収入を最大化していた安定的な人生であったとしても、はたしてそれは池田有親の望んだことであったであろうか。現代人が忘れてしまいがちな明治人のバイタリティを、池田有親からは感じる。そして、筆者が、池田有親に惹かれた理由もわかる気がするのである。
 (リーダーズノート出版、2022年、1650円〔税込〕 )



宮地 英敏(みやち・ひでとし)
11974年、岐阜県出身。東京大学文学部、同大学院経済学研究科、同助手を経て、現在は九州大学記録資料館准教授。専門は日本経済史。主な著作に『近代日本の陶磁器業』名古屋大学出版会、『軍港都市史研究5佐世保編』清文堂出版(共著)、『なぜ日本は尖閣沖油田を開発していないのか?』リーダーズノート、『宮地英敏・思索の旅-明治 14 年政変編』リーダーズノートなどがある。


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