「毒」がなくてはつまらない  「蜜」がなくては諭しめない  「骨」がなくては意味がない

Opinion|2020/07/08|編集長 木村浩一郎|リーダーズノート出版

正義感だけではない何か、
それは「筋を通す」ということ

 自分にどれほどの「正義感」があるのだろうかと問いかけてみる。これは、かなり難しい自分との向き合い方だ。
 あるときには他人を責めるけれども、人というのはみなご都合主義である。程度の差こそあれ、同じ人のなかに「善」も「悪」もある。勧善懲悪というのは、むしろ「害」にもなる。だいいち何をもって「正しい」といえるのだろうか。時と場所が変われは、正義は悪に、悪は正義に変わるだろう。
 そこで私が好きな日本人的な考え方というのは「筋が通るかどうか」である。
 これは決してヤクザ屋さんの専売特許ではない。ご都合で、言うことがコロコロ変わる政治家に信用がおけないというのは、そういうことだろう。

 食料事情が悪くて違法な方法でしか食べ物が手に入らなかった終戦直後に、山口良忠という裁判官が餓死したという有名なエピソードがある。彼は、違法な闇市(やみいち)の闇米(やみごめ)を食べるのを拒否した。なぜなら彼は、闇米を所持して検挙された人を、裁く立場にあったからだった。
「裁く側の自分が、闇米を食ってはいけないだろう」と悩んだ末に、配給食のみを食べ続けて栄養失調になり飢えて死んだという。半ば笑い話にもなったようだが、笑えない話でもある。彼は、命を賭して「筋を通した」のだった。

 私の20代のころ1980年代というのは、例えば駐車禁止をしても警察署長などに知り合いがいれば、こっそり違反切符を抜き取ってもらい、なかったことにしてもらえた。知り合いの新聞記者がほとんど泥酔状態で車を運転して、真っ赤な顔をして警察署に車を運転して乗り込んでも何のおとがめも受けなかった。自嘲気味にそういう話をする人は割と多く、生真面目に正義を語るというのは無粋だったろう。ある教頭は、金庫から生徒の修学旅行の金を取り出し、鷲掴みにして腹巻のなかに突っ込んで、毎晩、キャバレーに繰り出していたという豪快な話を、その教頭が退職してからのちに、他の教師たちが笑いながら話していた。

 そのころ、ある報道記者が飲酒事故を起こした上に、事故の相手を脅しまくって逮捕されたという出来事があった。
 私の友人である新聞記者がそれを原稿に書いたところ、上(デスク)からボツにされた。おかしいじゃないか。筋が通らない、ともめてみたがラチがあかない。そんな話である。
 どこにでもある交通事故と逮捕。記事を書いたがボツ。どうでもいいといえば、どうでもいい話だった。
 その話をどこかに書いてくれないかという、友人の熱意に押されたというのはあったが、それだけでもなかった。それを何とかしようと思ったのは私の勤務していた出版社の社長が、「そんな金にもならん話を追うのなら、会社を辞めてからやってくれ」と言ったことだった。マスコミ全部を敵にまわすのは、どう考えても得策ではないということらしい。この社長は、なかなかの名物男だったが、その一言が私に火をつけた。

 結局、私は、会社を辞めて丹念に取材して、原稿を書いた。しかし発表する場がない。所詮、地方ネタであるし事件そのものも大きくない。新聞はもとより週刊誌も相手にしてくれなかった。「それくらいのこと」という認識なのである。

 そこで上京して『噂の真相』という雑誌をやっていた岡留安則さんのところに持ち込んで掲載してもらった。これが掲載できないのなら岡留さんも男じゃないな、という意気込みだった。ギャラはわずかで、取材費用も出るわけでもないので借金だけが残った。しかし自分にとっては、この20代のときに書いた原稿は、いまなお大切なものになっている。もうだれも読むことのない、1989年『噂の真相』5月号の記事を、以下に再録しておきたい。


記者クラブが同業の誼(よしみ)で封印した
NHK記者の不祥事
レポーター 木村浩一郎

報道されなかった記事

「警察言うたら、仕事できんようにするぞ、お前の会社も大変なことになるぞ、って脅されたんです。これはどこかの組員だなって思いました。男はだいぶ酔ってたし、胸や首をつかんで脅すので、怖かったんですよ。警察が来て安心しました」
 タクシーを運転していて追突されたAさん(57)は、取材に対しそのときの様子をこう語った。マスコミ各社は、Aさんを取材しなかったため、この証言も事故そのものも報道されることはなかった。
 高知警察署の発表によると、事故のあったのは昨年9月22日午前3時30分、高知市上町3丁目6−17付近高知市道交差点。呼気1リットル中0.7ミリグラムのアルコールが検出されたため、タクシーに追突したBさんを逮捕した。BさんはNHK高知支局に勤務する報道記者(47歳)。調べに対し、家で酒を飲んだと話していた。事故によるケガはなかった。

 この事故は警察記者クラブで発表されたが、どの社も報道を見合わせた。逮捕されたのは記者だったことから、この事件はマスコミ内部の話題となり、一つの論議を呼んだ。報道すべきだったのかどうか。そして、報道できたのかどうか。
 報道すべきだと主張し、原稿を書いたある記者は次のように話す。 「この記者の逮捕は記事にしない、でもほかの飲酒は記事にする、というのは矛盾している。たとえ一般の人のことは報道しなくても、書く側の不祥事には厳しいくらいの姿勢がいまのマスコミには必要だと思う。記者が窃盗、万引き、わいせつ、すべてきちんと書くべきなんです。でなきゃ、人のことを書けるはずないじゃないですか。各社の幹部が話をあわせて伏せたんです。腐っていますよ」
 警察が発表しても、マスコミの不祥事だけはなかなか報道されない。なぜか。その現状を知るために、この事故を一例として取材した。以後は、高知県の報道11社のうち(取材を断った共同通信社を含む)6社を取材したレポートである。

公務員じゃなかったから

 この事故を報道しなかった理由として毎日新聞は、「公務員なら報道したが、NHKの記者は会社員。公務員は処分が決まっていて、処分にもニュース性があるから記事にせざるを得ない」としており読売新聞も、「公務員は税金を使い、国民の先頭にたつ公僕だから記事にして厳しく対処している。NHKの記者は公務員ではないから報道しなかった」という。また高知新聞は「教師や警察官などの公務員、暴力団組員は報道の対象にする。会社員なら報道しないケースだった」との見解を示す。
 このように、「NHK記者は、公務員ではなく会社員である。だから報道の対象にならない事件だった」というのが各社の共通した言い分だ。
 反証してみよう。昨年2月15日、プロ野球投手が酒気帯び運転と通行禁止違反で高知警察署に検挙された際、各社はかなり大きな報道を行った。記事には写真が入り、「二日酔い、女性とゴルフへ」というサブタイトルをつけた社もあった。ある社は、一大事を引き起こした、とさえ書いた(この投手のアルコール検出は呼気1リットル中わずか0.25ミリグラムだった)。この野球選手は、公務員ではない。
 また、昨年1月27日、高知新聞は「免許不携帯で組員逮捕」という報道を行った。いくら組員だからといえ(飲酒よりはるかに軽い)免許不携帯で逮捕され、そのうえ報道されてはたまらない。ともあれ、この組員も決して公務員ではない。

 これらの報道は、プロ野球の選手の検挙、暴力団組員の逮捕にニュース性があると判断された結果ではないか。公務員報道とはなんら関係はないのだ。
 現在の報道のシステムでは、公務員でなくとも、ニュース性があると判断されれば報道されるのではないか。はたして報道記者のこの事故の場合はどうだろうか。犯罪行動に詳しい浅野健一氏(共同通信)にきいてみた。
「私は、一般刑事犯罪の報道は、匿名で行うか、ニュースにしないことを主張しています。ですから、一般刑事犯罪をまったく報道していないのならよいわけですが、現実にはそのような犯罪を実名で報道している。一方で記者が起こした事件については報道しないというのは矛盾しています。逮捕ならば報道するという立場をとっている報道機関が、この記者の事故を報道しないのはおかしいわけです。いまの報道のシステムならば、NHK記者の飲酒、事故、逮捕、のニュースバリューは高いと判断されるはずですから」という浅野氏は、さらに「その際に公務員であるかどうかなど、全く関係ない」との意見も加えた。

報道は伏せられた?

 この取材の過程で「報道規制が行われたのではないか」という話があった。NHK放送部長が各社をまわって、報道を伏せたらしい、というのだ。その件について、高知新聞編集局次長は、
「NHKの放送部長と、『同じ責任者として頭が痛いですね』といった話はしたが、それはこの事故をボツにすることを決め、夕刊の原稿を締め切ったあとの話だった」という。
 しかし読売新聞支局長は
「事故の直後に支局長会で会い、事故のことは話した。同業者なので同情したし、大目にみたと思ってもらっても構わない。昼の事故なら隠せないが、深夜の事故なので幸運なケースだったのではないか」という回答をくれた。
 この読売の回答を言いかえると、「同業者なので同情し、深夜の事故は目撃者が少ないので大目にみて隠してやったのだ」ということになる。
 さらに朝日新聞支局長は取材に対し次のように語る。
「そのNHKの記者はタクシーの運転手にくってかかり、警察に通報されたと聞いた。事件の当日に、NHK放送部長から、社員がこのような事件を起こして申し訳ない、ご配慮をお願いしたい、という話はあった。同業者として仲間をかばう気持ちもあった」と、規制と受け取れる連絡があったことを認めた。
 都道府県にはマスコミの責任者でつくる会がある。NHK高知支局放送部長は、高知県のマスコミ11社でつくる「報道11社会」の幹事をつとめ、常に他社に連絡をいれる立場にあった。そのような立場の人物が他社に出向き、「ご配慮」をお願いすれば、それは報道規制ではないか。
 その点についてNHKを訪ね、放送部長に話をきいた。
「報道規制などとんでもない。私たちはつねに会う機会がある。なにかの連絡のついでにこの話も出たんだと思う。だいたいNHKが圧力を加えるなどということがあるはずがない。またそんな力も持っていない。不祥事を起こして本当に申し訳ない、ぐらいの話しかしてない」
 と当初はこちらの予測した返答をしていた。
 ところが話が進むにつれ、「なんの雑誌に書くのか」「NHKというと、それだけで波及効果が大きいので困る」というトーンに変わり、さらに「どうしたらいいか」ということになった。そして最後には「今は助けてくれとしか言えない」という。
 助けるとは一体どういうことなのだろうか。警察の不祥事にしろ教師の不祥事にしろ、書かれる側はいつも助けて欲しいのではないか。正式に取材を申し出た私に、「助けてくれ」と言うこと自体、これは報道規制となんら変わりはないのではないだろうか。

表に出ないマスコミの不祥事

 昨年12月26日、毎日と読売を取材した。その直後、このNHK放送部長から「いったいどんな男が取材をしているのか」という電話が朝日に入っている。毎日と読売を取材したことが、即座にNHKにつたわりそれが朝日にいく。不気味なほど、はやい。
 「どんな男が取材」しようと、やましい事をしていなければ、マスコミ幹部が慌てることもない。隠したい事実があればこそ、なのだろう。また、どこの新聞社のだれが、取材に対し何をしゃべったか。そんなこともこの世界では大きな話題となるらしい。
 浅野健一氏は、このようなマスコミの体質についてこう語る。
「日本の場合、マスコミの不祥事はなかなか表に出ない。だから記事だけを読むと新聞記者は悪いことはしない、と思われる人も多いかも知れないが、実際にはたくさん不祥事の例がある。不祥事に限らず、自社に都合の悪い場合は必ずといってよいほど出さない。朝日新聞社が、天皇崩御のために自社の式典を自粛した。こんなことは報道されないわけです」

 「隠す」のは悪いことだ、といつも言っているのはマスコミではないか。政府、警察、学校などの不祥事を報道する際、「もの言わぬ学校」「警察ひた隠し」の見出しのように、「隠す」ということに対して、ペンの力で徹底して糾弾する姿勢を見せる。このNHKの記者の事故があった4日後の9月26日の読売新聞も「警部が飲酒・自損事故を起こし処分されていた事実」をスクープ、見出しに「警部が飲酒事故」「徳島県警こっそり処分」と書き、「ひた隠しにしていた」と報じて、「隠す」警察の体質を問いかけた。これが全国ニュースとして流されるのに、「NHK現職記者が飲酒事故」「マスコミ各社ひた隠し」はニュースにならない。マスコミ各社が手を結ぶ。この現実こそ大問題ではないか。表面上はスクープ合戦をしているように見えるマスコミ各社が、身内の問題に対しては協定を結び報道の足並みをそろえる。そのようなマスコミの体質こそが問題だろう。〈了〉  1989年『噂の真相』5月号 


 

 思い出されるのは、この記事に書いたNHKの報道部長が土下座をして「助けてくれ」と言ったこと。おそらく彼のその後の人生が変わったのであろうこと。そして朝日の支局長が、この記事が『噂の真相』に出て間もなく病気で他界したことだ。
「朝日の支局長が死んだのは病気のせいで記事のせいじゃない、あの証言は木村君への置き土産だったんだよ」と友人が気休めを言ってくれたが、支局長が人生の最後に読んだのが、この記事だったと思うと辛いものがあった。
 ではなんのために自分は書いたのか。
 それこそNHKをぶっ壊したいわけでもなかった。「暴く」ということに真剣になったらスイッチが入ったということだったろうと思う。そして暴く側と暴かれる側は、いつも尋常ではないということを、かの岡留安則さんは教えてくれたように思う。〈了〉


木村浩一郎写真
2020/05/20
リーダーズノート出版・代表・編集長・
木村 浩一郎


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