【ジュンク堂書店月刊誌『書標』掲載】
「結局わかりませんでした」かつて、「教養」に生き死にの指針を求めたビートたけしは、学者たちとの対話の末に、こう言った。
世の「哲学」「思想」「教養」とは、実は「主義主張」ではなく、奉じた本人が人生の大事の場面で使えない、「趣味主張」だからだ。それらは、「世間」で生きにくい人々が逃げこんで引きこもる「今一つの世界」なのだ。そして、そうした知の「世間」が内輪で共有する価値基準、隠語、了解事項などなどは、外部の我々にはさっぱり通じないまでに閉じきっている。二つの「世間」の間には、越えがたい壁が聳えているのである。
だが一方、生き死にの指針を希求する人々、「自分探し」をしたい人々は、たしかに実在する。「知識人」=「逃亡奴隷」がそれに応えるために、何が必要か?
まず自身が「思想」や「哲学」を必要としてしまった初発の動機をしっかり自覚すること。そうして、需要より供給が先にある「知の専業者」のヒエラルヒーを逆転し、需要と供給がかみあったところで知の価値が決定される自由市場を構築していかなければならない。
そのために、医学や法学における民間開業医や弁護士のように臨床を受け持つ職種、顧客の問いがまずあって、持ち込まれた問題、欲求に応えるかたちで仕事を始める「開業知識人」とでもいうべき職種が、「哲学」「思想」「教養」にあったならば……、と浅羽通明は夢想する。
書店が、そのような「知の臨床現場」 であり得たなら……、とぼくは夢想する。
福嶋聡氏(ジュンク堂難波店店長)評 より