「毒」がなくてはつまらない  「蜜」がなくては諭しめない  「骨」がなくては意味がない
「毒」がなくては詰まらない 「蜜」がなくては愉しめない 「骨」がなくては意味がない
LEADERS NOTE
「毒」がなくては詰まらない 「蜜」がなくては愉しめない 「骨」がなくては意味がない

【神奈川新聞 2012年5月26日 朝刊掲載】


「さようなら十七才 海と心の詩」 震える心で孤独をうたう
48年前の冬、高校2年生の少女が茅ヶ崎の海で命を絶った。本書には中学時代からの詩が集められている。後半は浜辺に残されたノートの遺稿だ。ノートは海水にぬれて文字の一部が判読できなかったという。が、震える心はひりひりと伝わってくる。 早熟な少女はだれにも知られずに詩作をつづけていたらしい。「春が桜を散らすのは 春が力んでいるから。 勢い余ったその力が つい先を急いでしまうのです」(高1の3月)のように、その作品で気づくのは、海鳴りにおびえ風を恐れ、自然のうつろいに翻弄される細かく壊れやすい神経だ。 だが、彼女が見ていたのは外界ではなく、自身の心の奥底に潜むどうにもならない孤独であった。非凡な才は、ノートに書かれたメモにもうかがえる。 「読みたい本」として林健太郎「世界の歩み」、ドストエフスキー「白痴」などをあげている。時代語でいえば〝直球勝負〟である。もし彼女がゴーゴリ、魯迅、オーウェルといった苦い笑いで世をうっちゃる機知の書、滑稽の書に接していたら…と臨床的な後付けでしかないが、つくづく口惜しく思う。 死の1964年は東京五輪一色の年だったが、その記述はない。


LEADERS NOTE
「毒」がなくては詰まらない 「蜜」がなくては愉しめない 「骨」がなくては意味がない